コラム

戒律を敬遠する日本

日本の土地は、飛鳥時代に天皇家が公地公民制を宣言してから全て均一に天皇家のものだった。いわゆる律令体制である。しかし、徐々に骨抜きになり土地の私有が認められるようになる。大きな要因は、平安時代に広がった「荘園」である。当時は私有地でも収穫物の一部を納めたのだが、藤原氏は「これは農地ではなく、別荘の庭園なので収穫物は存在しない。」として、合法的に脱税を始めて全国に広まり律令体制の崩壊を招くことになる。

日本の法意識は伝統的に不文法に馴染んでいる。鎌倉幕府が制定した御成敗式目は、それまでの紛争を解決した判例集だが、庶民の道徳、法として明治の学制が布かれるまで寺子屋の教科書だった。成文法の律令はすぐに消えたが、判例法の式目は600年にわたり日本人の行動規範だったのである。仏教(小乗仏教)やイスラム教などの厳格な戒律は、どうも日本人は苦手である。不文法が持つ「解釈の幅」こそが日本人には馴染むのだろう。