私は悪くない!
人々のあらゆる欲求の中で、一番強いのが「己の正当化」だという。つまり、私は悪くない、あんたのせいだ、というように自分に非が及ぶのを避けたい他責思考をいう。今回はこの幾分やっかいな(笑)、己の正当化についての考察である。
善人家族と悪人家族
ある所に3人家族と6人家族の家が隣同士にあった。3人家族の家は日々、口論が絶えず、6人家族の家は日々、笑い声が絶えないという。
3人家族の御主人は、なぜ家の倍も家族がいるのに、隣はいつも和やかなのだろう?と不思議に思い、隣の御主人に尋ねてみた「お宅は大勢家族が居るのに、なんでいざこざや揉め事が起きないのかね?」
すると、隣の御主人はこう答えた「お宅は全員が善人の家族みたいだけど、家は全員が悪人ばかりだから揉めないんだよ」
頭の中に、はてなマークが3つも4つも並んでしまった御主人は(笑)、さらに聞く「お言葉だけど、善人だから揉めて悪人だから揉めない、というのは、もしかして逆じゃないのかね?」
隣の御主人が曰く「たとえば、床にワックスをかけた後に、誰かが滑って転んだとしよう。するとワックスをかけた者は、滑って転ぶ程にワックスをかけ過ぎてごめんなさい、と謝り、それを聞いた他の者は、滑るから気をつけて、と言うべき注意を怠って申し訳ないと謝る」
「転んだ当の本人はというと、足元をよく見てなかった自分の不注意だ、ごめんなさいと謝る。家は悪かったのは自分だと皆が思っている。つまり家の家族は、全員が悪人になりたがっているんだよ(笑)。」
それを聞いた3人家族の御主人は、何かあるたびに「あんたが悪い私は悪くない、いや自分は悪くないおまえが悪い」と家族全員が善人になりたがっている我が家を、大いに恥じたという話である。
この善人家族に反して、お隣の悪人家族は何かあれば悪いのは自分です、と皆が口を揃えるのだから、そもそも諍いが起ころうはずがない。
さて、自分の周りを見渡せば、善人家族はそこかしこにいるが(笑)、悪人家族にはめったにお目にかかれない現実に思わず、うーん、と唸ってしまう(苦笑)。
喧嘩両成敗という方法
ついつい己を正当化しがちな我々凡人は、果してどうしたら他責思考ではなく、自分の非を認める自責思考を持つことができるのだろうか?
1つのヒントとして浮かぶのが、喧嘩両成敗である。いざこざが起きる原因は必ずあるわけだが、それはこれだ、というような単純明解なことではないはず。幾重にも重層化、かつ複雑化した恨みつらみが遠因となり、そこに他愛もない一言で火が付く、このパターンが大半だろう。
その時に、恨む方も恨まれる方もそれぞれに諍いに発展する要因は相応にあるわけで、どちらかが一方的に100%悪い、ということはあり得ない。
人は大体がシロクロをつけたがるもの。そうしないとスッキリしないからだろう。でも自分はスッキリしても、クロにされた方は、スッキリするどころか、遺恨だけが残る(笑)。面倒なことにこの遺恨というやつは、なぜか消えずに堆積するのである。
私も悪いかも!?
この堆積された遺恨の山に火が付くと、あー言えばこー言うのエンドレスの諍いが始まる。エンドレスだからいったんは収束しても、また始まる。つまりパターン化されるのである。
このワンパターンから抜け出す糸口となるのが「私も悪いかも」、という自覚である。諍いに至るのは、双方に不覚や落ち度があるわけで、それを自覚できれば実はお互い様だった、という真理が見えてくる。
相手が悪いのはまちがいない、がしかし私にも非があった、と自覚することが大切なのは、日本が世界に誇るべき法原則である「喧嘩両成敗」が教えるとおりである。
我々がなんだかんだ言っても、結局お互い様だと思えるのは、すべての日本人の心に、喧嘩両成敗の概念が通底しているからに他ならない、というのが小生の持論である。
